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詳説Emily likes tennis史 |
◆1980年 クロアチアのザグレフにてトゥビッチ・デヤン生誕。 2007年 1月…日本は群馬県。山田、センター試験で間違えて日本史Aを受験。志望校を受けられなくなる。兵庫の和泉、同日眠くなり次に起きた時は翌年のセンターの日だった(本人談)。武井、部活の準備運動で靭帯を切断する。バスケの道を断念。 3月…山田、大学受験が終了し、同じ大学に進むことになった友人とスタジオでよくわからん遊びを始める。山田がドラムボーカルを務めるもロクに叩けず。この頃高1の武井がミッシェルのコピバンを結成。奇しくも山田の実家の近くのライブハウスで活動する。 4月…山田、高校と大学が一緒の友人と4人組ハードコアバンド結成(ギターヴォーカルに転向)。ほぼ全員初心者。軽音部のノリにうんざりする。 5月…和泉、コールドスリープから覚めないまま19歳に。 8月…軽音部からつまはじきに遭い、ロック研究会というよくわからないサークルに所属を変える。 秋頃…メンバーが練習に来なくなる。 1月…和泉が永い眠りから目覚める。特に学力は向上していなかった。 3月…ハードコアバンド、初ライブが解散ライブに。数日後Emily likes tennisを結成。由来は今となっては思い出せない。当時は女性Baとフルート担当がいてシューゲイザーをしようとしたらしい。 荻田、T大に落ちて以後性格がねじれる。 4月…嫌がるフルートを無理やりメンストライブに参加させたところ脱退を表明。辞世の句は「オレ、かっこ悪いことしたくないんだよね」 5月…和泉がロック研究会に入会。ポスターを書いた女性に「デザインにキャプテンビーフハートを感じたんですけど、好きですか?」と意を決して訊ねるも「知らない」と一蹴される。 和泉、友人のバンドにドラムで参加するが15分で「やっぱ…ないわ」とクビにされる。 9月…ドラムが免許合宿に行っていたため、2人で実質初ライブ。悪夢に終わる。山田、和泉が一人でやっていたノイズバンド「シベリアスーパーデラックス」にベースとして加入。どう練習していいかわからないのでとりあえずストラップを限界まで下げる。 11月…オリジナルメンバーのドラムが脱退。山田と高校の3年間クラスが一緒だった仲だけにたいそう落ち込む。 12月…途方に暮れた山田のバイト先にジダン似のクロアチア人トゥビッチ・デヤンが現れる。キュアーなどが好きでドラムをやっていたと聞き、バンドに誘う。加入する。それほど上手くなかった。この頃からシューゲイザーから著しく乖離した音楽性へと変化を遂げる。 2月…ライブ前日にデヤンの第一子誕生。平然とリハーサルに現れたデヤンに「病院行かなくていいの?」と聞くと「ガラスの中に入ってるから大丈夫」 と頼もしい返事をしてくれた。演奏は酷かった。Joy divisionとシャーロッツのカバーを披露。カバーと知らない先輩にその曲だけ褒められる。 4月…武井、荻田、津坂入学。メインストリートでジダンを目撃する。同日、和泉がアンプ破損の容疑で部長に怒られる。 デヤン、遂に配偶者のプレッシャーに勝てず、4月末日付で無期限の育児休暇に。置き土産的な3曲入り無料1st CD“スベスベマンジュウガール”リリース。PAVEMENTばりの音質の悪さが評判を呼ぶでもなくあっという間に生産する気が終了。 5月…サポートに片山を迎えたところ、驚くほど演奏が安定。 6月…オリジナルメンバーの金森が脱退を表明。ラストライブではスリッツの悲しい噂のカバーが披露された。観に来ていた武井、山田に「よかったっすよ!」と社交辞令的なメールを送る。 7月…片山も脱退し途方に暮れる山田、和泉と武井を誘い、第5期が始まる。加入2日後にライブを決める。和泉はベースを触ったことがなかった。 8月…下北沢MOSAiCで初ライブ。全員お腹が痛くなる。対バンの客であったドイツ人留学生に「entertainment!!」と絶賛される。和泉、パッと口を出たドイツ語「ノイバウテン!」連呼で応じるもポカンとされる。 9月…この頃から12月頃まで横浜のライブハウスで頻繁にライブを行う。和泉「正直抜けたかった」と後に回想する。 10月…藤沢にて8時間のレコーディングを敢行。5曲をねじ込んだ1stミニアルバム“embarrassment!”をリリース。以前より音質、演奏ともに進歩が見られたものの、大して売れず。後に勝手に廃盤認定。 下北沢club 251に出演も和泉のシールドが4回くらい抜ける。それに加えMCで対バンのオシャレバンドに噛み付くも店長に「説得力ないよ」と斬られる。 1月…吉祥寺WARPに出演。本格的に都内でライブを始める。ドラムセットに突っ込んだところブッキングの女性激怒。平謝りしていたら許してくれた。12月のライブから演奏がマシなものを選りすぐったライブアルバム“development!”をリリースも即廃盤。 友人の柴田がギターで加入するも1回のライブで脱退。 山田、就職活動とやらを始め、なんとなく出版社など受ける。当然落ちる。 2月…秋葉原club GOODMAN初出演。よい対バンであったがブッキングの人はとても怖かった。 レコーディングの勢いでCDを秋ごろ送ったレコード会社から電話が来て狂喜乱舞。メンバーに伝えに行くも和泉はムーを読みながら「すごいっすね」とまるで他人事だったため山田憤慨。正常な判断能力を失った山田は姉に「就活やめるわ」と告げるも「目ぇ覚ませや」と怒られる。 3月…レコード会社の人がライブに観に来るも予想以上の演奏の酷さで見限られる。山田の熱病がようやく覚める。就活を再開する。 4月…某音楽雑誌出版社の面接が圧迫だったため山田逆上して悪口を言って帰る。 クウチュウ戦と初めて対バンし、落ち込む。ドラム坂下くんに「MCは最高ですよ!」と言われ、落ち込む。 武井が昔の山田のバイト先(学生居酒屋)でバイトを始める。 5月…行き詰ってきたので一旦ライブ活動を停止。曲作りに励む。武井に「楽しい?」と訊ねるもしばし沈黙が続く。山田、内定を得るも「社員が120人しかいないのに5年で70人採用」という新陳代謝の良さに愕然とし、内定辞退。6月に内定がずれこむ。 8月…秋葉原club GOODMANで活動再開。それ以外何をしていたかあまり記憶にない。見限られたと思っていたレコード会社の人から突然「レコーディングさせてあげるから 1曲用意しといて」と電話が来てびっくりする。しかし今に至るまで連絡はなし。なんだったんだろうと今でも思うよ。ときどき。 和泉、夢の中でめっちゃ楽しそうに生きるもう一人の自分に遭遇し、「なんでそんな楽しいん?」と訊くと「楽勝やで」と返答され半泣きで目が覚める。 山田、「99歳のおじいちゃんの自伝作りの手伝い」という奇妙なバイトに電話をするも、本人宅でなく老人ホームにつながる。「昼寝から目が覚めたら折り返し電話しますね」というヘルパーの言葉の後、電話は来なかった。 9月…中学生棺桶の企画に参加。ぬ界村の人にバンド名を褒められる。棺桶にMCを褒められる。終電で帰ったはずの和泉は電車を逃すも何故か打ち上げに戻らずに漫喫で一夜を明かす。 去年と同じ場所でレコーディング。14時間で8曲ねじ込む。和泉の機嫌が悪かった。武井が安定していた代わりに山田が足を引っ張った。 背伸びして渋谷O-nestに初出演したところ、店長に懇意にしてもらえる。和泉「渋谷最高の街やな」 今更ながら1st ミニアルバムをディスクユニオンで委託販売。友人から「見つけたけど買わなかったで!」と報告される。3ヶ月で一応納品した分は完売したと思われたがめっちゃ返品きて落ち込む。 10月…学祭でよい部屋が確保できたので企画ライブをしようと山田が勝手に迷走を始める。時間がないにも関わらず懸命に招聘した結果、11月の学祭 では2日間で撃鉄、壊れかけのテープレコーダーズ、快速東京、中学生棺桶など名だたる面々を勝手に呼ぶことに成功する。一時は「後の東京ボアダムぐらいに したいね」と調子に乗っていた山田だが、共演と言うのがはばかられるような力量の差に落ち込む。 11月…O-nestの店長に一転「カッコ悪いセックスみたいな演奏やな!」と言われる。 前述のレコーディングした8曲にライブ音源2曲を加え1stフルアルバム“We are all substitutes”を作成。去年のよりは売れ行きがずっといい。 山田、黄金町の実に怪しいホテルで夜勤のバイトを始め、以後さまざまな事件に巻き込まれる。 津坂、武井と同じ職場でバイトを始める。 12月…ミーティングの結果、新しいボーカル入れるか山田がすごく鍛えるかの2択を迫られることに。 ロック研究会の後輩がコンピレーションアルバムに参加すると聞き、メンツをみるとすごいので羨望する。公募していたのでメールしたところ、「ライブ 観に行きます」との返事。意気込むも当日先方が骨折したためライブには現れず。なんとも言えない気分で2010年が終わっていった。 1月…秋葉原club GOODMANでのライブ後、武井の脱退が決まる。決定後の練習に和泉が寝坊して練習に来なかったため気まずくなるものの、道端で拾った遊戯王の話で仲直りする。 後日、4月からドラムに荻田、ヴォーカルに津坂を迎え、新体制で活動を始めることが決まる。山田、なんの執着もなく3年続けたVoを辞める。津坂、Voやってくれというメールに返信をしなかったものの初日の練習にはきちんと参加。 荻田、山田にホテルのバイトを紹介される。 2月…デヤンがクロアチアに帰国。見送りのため集合時間に横浜に集った山田と柴田だったが肝心の本人が遅刻。後日“I wil start to work tomorrow..fuck”というリリシズム溢れるメールが届く。 O-nestのライブ後、知らないおじさんに「君たちはまかり間違っても売れようとか思っちゃダメだよ」とハッとさせられるアドバイスをいただく。何者かはよくわからないがCD買ってくれた。 4月…初ライブの前の日に新ボーカル津坂が高熱を出す。原因は異常にすっぱいマイタケ。 club LINERに出演。「また観たいから誘う」と言ったブッキング担当から連絡が来ないまま担当退社。 5月…spinoza企画ゲシュタルト人間vol.3に参加。ほろよいサワー1本で山田の臨界点を越える。ライブ後の打ち上げでは終始うめいていて打ち上げ気分に水を差すことに。 O-nestでのライブ後、店長に「最高やけど絶対売れんな。あとモテんな」と言われる。ハッとする。1曲目でマイクケーブルを引きちぎった津坂は精算のときに異常にビクビクしていた。 荻田、中学時代自分をいじめていた同級生がフェルト工場で過酷な労働を強いられていることを知る。 8月…O-nestでのライブ後なんとなく手ごたえのようなものを感じる。 明学現音と合同ライブをするものの楽しそうな雰囲気に呑まれ本来の力を出せず。荻田「女の子がたくさんいすぎて吐きそう」という名言を残す。 和泉が大学院受験のためしばらくライブ活動休止。山田、惰性で集めるマンガ本のような日々。津坂、アイドル(ももクロ)を追っかける日々。荻田、無駄に凝った料理を作る日々。それぞれの夏が過ぎていく。 9月…和泉が遠方の大学院に合格する。もしかしてあたしたち離れ離れになっちゃうのかしら。 荻田、月半分近い夜勤の結果ニキビが増える。 10月…久しぶりに秋葉原club GOODMANにてライブ。演奏自体はボロボロだったがわりかし好評を博す。タコボンズの小川さんをして「二万ボルト直系90年代キ○ガイポストオルタナ ティブ」「ボーカルがイタリア人っぽい」との評を得る。それを聞き二万電圧でのライブを決める。 11月…横浜国立大学ロック研究会企画胎教に扱いづらいOB枠で参加。他ゲストはサーティーン、ガガキライズ、太平洋不知火楽団など。ガガキライズを見て今後すべてフロアライブにすべきと判断。津坂はももいろクローバーの話で盛り上がる。 渋谷O-nestにてライブ。山田と荻田嘔吐。和泉と津坂風邪という最悪の状況の中、今までで一番よい動きをする。元RADWIMPSを名乗る男性 が観に来るも「僕に何ができるかわからないです」と苦笑いして帰っていった。山田、店長に「企画したい」と伝えたところ「渋谷の週末舐めたらアカン」と一 蹴される。以後ライブの誘いがこなくなる。 秋葉原にてシンガポールからの刺客I am David sparkleと対バン。日本の最先端カルチャーを伝える。 12月…二万電圧でライブ。久しぶりに由美子嬢(クウチュウ戦、例のK、乃田吊ユニット)と再会。胸が高鳴る。素晴らしいメンツに気圧されたか、8ヵ月ぶりのリハ有りにも関わらず演奏崩壊。和泉、シベールの日曜日の人に延々と説教される。賛否両論の夜であった。 山田、こっそりソロライブをする。和泉「酔ってるから言いますけど、山田さん一生ソロしない方がいいですよ」 サーティーン×カミイショータグループ×アンダースローバレリーナ企画@高円寺studio DOMに参加。割と耳馴染みがいいバンドの中、極狭なスタジオで暴動寸前のライブとなる。津坂終盤ほとんど歌わずひたすらくねくねする。トリプルファイヤーにいたく感動する。 1月…二万電圧でライブ初め。山田、出番の1分前に会場に到着。ファックオフ接待カルチャー。 the mornings×秋葉原club GOODMAN共同企画に若手的な枠で出演。和泉と山田、行きの京急でULTRA BIDEの面々と遭遇するも会話がもたないと判断し別の車両に移動。山手線でようやく声をかける。ライブはかつてない聴衆のもと精一杯演奏し盛り上げて次 のオランダ人につなげる。「物々交換制」という貨幣経済への挑戦ともとれる異例の形態でのリリースとなった9曲入りライブCDは初日で20枚以上交換完 了。 2月…神楽坂Explosionでライブ。異色の組み合わせの中、出演前に全裸男性を目の当たりにした津坂戦意喪失。荻田、魔ゼルな規犬に16ビートを絶賛される。 VAU!×HUH×ゲバ棒企画@高田馬場音楽館に参加。30バンドくらいでるすごい賑やかなイベントの中しめやかに荒々しく演奏するもENDONのあまりの凶暴さにすべてをもってかれる。Core of bellsの人には一切話しかけることができず。 秋葉原club GOODMANでライブ。ドラびでおに「面白かったよ」と言っていただいた記憶がある。後任ベーシスト内海をライブに呼ぶ。なんかそわそわしてんなぁと思って訊ねると「東京初めて来ました」と一言。 3月…卒業の決まった和泉、公私ともに充実期を迎えたらしくすごく調子に乗り出す。 東高円寺二万電圧にてライブ。遂に憧れのRUINS(alone)と対バン。津坂、握手券ほしさに10枚以上購入した女子流のシングルを無料配布す る。やたらと好評を博す。山田、吉田達也にサインをもらう。代わりに女子流のCDとライブ音源を強引に渡す。「あっ1バンド目の人?ごめん間に合わなくて 一切観てない」との言葉をいただく。 4月…和泉ラストライブ@池袋手刀。よくわからないカラオケ付き企画に参加。看板のバンド名表記がEmily tennisになっていたため新曲のタイトルがそれに決まる。例のKの葉蔵さんにレクイエム的なカラオケを披露してもらう。山田、聖母たちのララバイを熱 唱するも会場を盛り下げる。和泉、クウチュウ戦由美子嬢に「褒めたって無駄ですよ!ホントはバカにしてるって僕はわかってるんですからね!」と毒づく。内 海、2回目の東京。一緒に帰っていたはずが突然失踪する。 天王町オレンジカウンティにて新編成で初ライブ。内海、人生初ライブだったにも関わらず開始30秒で痙攣を始め、甲高い呻き声をあげる。一同人選を間違ってなかったと確信。 山田、サーティーンのライブを観た折に神宮氏に「たまにエミリーライクステニスのCDをSEに使う。客に『SEで流してたの何てバンドですか?』って訊かれたら『初期のパンテラ』って答えてる」と告げられる。ビッグウェーブの到来を予感させた。 5月…GWに和泉神戸から寂しくて上京。club LINERで新編成を見届ける。開始1分で内海がベースアンプをなぎ倒す。PAが「うぇっっマジかよ…」と駆け寄るも本人気にせず。不遜な態度に津坂がキ レる。「また観たいから誘う」と言ったブッキング担当から連絡が来ないまま担当退社が決定。1年前とデジャヴ。 津坂、就職という狭い概念にとらわれずフレキシブルに自分の生き方を模索していこうと決意。リクルートスーツを脱ぎ捨て以前にも増してアイドルのイベントに足しげく通うようになる。 東高円寺二万電圧でライブ。FUN☆ANAと対バンし憧れの吉田さんに褒められるも山田嬉しさのあまり「うぇっあっふぁっ」と小2の嗚咽のような返事しか出来ず。 内海、ようやく1文節以上の会話をメンバーとするようになる。 横浜国立大学清陵祭に出演。山田、「外バンド呼ばないの?」と部長にしつこく訊ねて嫌な顔をされる。津坂の痙攣とブリッジが高く評価される。 6月…グッドマンで対バンすることになったCARPOOLのアー写を見てその楽しそうな様子に一同怒り心頭。出順を終えた後「かっこよかったです」 と言ったタケタニ女史に対して「バカにするな」とキレた山田。しかしCARPOOLのライブ中には最前列でノリノリになっていたことに荻田がやっかむ。ト リプルファイヤー大垣さんに津坂が執拗に体を触られる。 三軒茶屋スタジオファミリアでのサーティーン企画「動物園」に参加。いつも「1バンド目で25分」的なポジションにも関わらずこの日はトリで40分 の時間を賜る。崩壊寸前の獰猛なライブが割と好評を博す。終わりが7時くらいだったのでバンド史上初めてきちんと打ち上げに参加。初見の人たちに一同30 歳くらいに思われていたことが判明する。ちなみに内海は「家にご飯があるから」みたいな理由で打ち上げず。 翌日のotori企画のバーベキューに山田単独で参加。みんな優しかったし肉はおいしかったから友達が増えたかのように錯覚する。 7月…グッドマンで吉田達也+ドラびでおと対バン。吉田達也に3月に渡した女子流のCDを聴いたかは訊けず。久々のアウェーの空気に萎縮したライブになる。山田、メンバーに「バーベキュー行ってるようじゃダメですよ」と言われる。 8月…前ベース和泉が神戸での生活が寂しいらしく横浜に来る。最強のラッパーになっていなかった。7月のライブのDVDを観て「手ぇ抜いてんじゃねぇ!!本気出せや!!」と一喝。 内海、成人を迎える。 ハイパーイベンター早瀬(兄)によるTOKYO SWINGに出演。下山、例のK、トリプルファイヤー、左右というトンデモブッキング。終演後親睦を深める中、内海は端っこで下唇をずっといじっていた。「そろそろ帰ろうか」と言うと「はい!」とこの日一番の返事。 9月…津坂、挫折を味わう。 22日静岡、23日長野とトリプルファイヤーとのスプリットツアーに便乗。山田の死のドライブにより一同危機に晒される。あまりここに書ける内容は ない。瓦レコードはとにかく居心地のよいところ、また条例的にも長野は素晴らしいところらしく津坂のテンションが過去最高を記録する。内海、衝撃の咆哮。 津坂、FADING SUN ROCK FESTIVAL(家族会議)のため北海道に帰省。 11月…横浜国立大学常盤祭ロック研究会プレゼンツ「胎教vol.3」にしつこく出演。山田、ブッキングに介入しすぎで部長に嫌な顔をされる。今年 のゲストは壊れかけのテープレコーダーズ、BOSSSTON CRUIZING MANIA、トリプルファイヤー、otoriという相変わらずかなり非学祭的なメンツになる。狭い教室で異様な盛り上がりの中、急遽当日ベリーズ工房を観 に来ていた大森靖子が転換アクトで演奏するなどそこはかとなく祭っぽかった。 山田、元来抱えていたヘルニアにぎっくり腰を併発し地獄を見る(継続中)。 秋葉原club GOODMANにて渾身の初企画をうつ。クウチュウ戦(シークレット)、ゲバ棒、core of bells、RUINS alone、張泰山粉絲團(from泰山に遊ぶ)というオルタナ総決算的な豪華メンツに気合充分だったが動員的には大惨敗を喫する。ライブ中山田が蹴ったマイクスタンドが津坂の頭にクリーンヒットするなどアクシデントもあったが、いろいろとリベンジを誓う。 12月…対バンしたワーストテーストDJ MEMAI氏に「初めてマサルさんを読んだときの衝撃に近い」と大絶賛される。セクシーコマンドー路線が間違ってなかったと確信。 聖夜にマイケルJAPAN企画@下北沢THREEに出演。なぜか会場に若い女性がたくさんいてひたすら違和感。練習に1ヶ月顔を出さなかった津坂、 渾身のキリストコスプレ(総予算6000円)で登場。アドリブもうまく決まり日本の将来が心配になるほど好評を博す。山田過去最短のミニスカートがひたす ら不評を博す。 秋葉原club GOODMANの年末イベントに出演(31日)。津坂が異国の地へ武者修行、「どうしても実家のおせちと年越しうどんが食べたい」と内海帰省という極限状 態の中、ベースに山田が入学したときに大学4年で山田が卒業するときも大学4年のままだった飯田先輩、ボーカルにアングラ界に咲く一輪の花・大森靖子と otoriのPOP暴力・コバラサエを迎え実に珍妙な編成で臨む。狂乱にして賛否両論のステージングで2012年を締めくくった。 1月…20歳の内海、アルコールの海に溺れる。素行不良が目立つように。 ヤミニP(例のK)をレコーディングエンジニアに迎え、大学のスタジオで録音。春のリリースに向け現在鋭意編集中。 2月…内海、救急車に召される。ケータイのアドレス帳に荻田が登録されていないことが発覚。 ライブ初め。終演後内海の病気療養に伴う3月いっぱいでのバンド離脱がそれらしく発表される。 3月…ワーステ&長江章文プレゼンツSEXY DRIVEにセクシーさはないものの出演。2時に横浜を出た内海は横浜→藤沢→池袋という謎の接続の末、7時にライブハウスに到着。 新高円寺クラブライナーで年度納め兼内海ラストライブ。いつも以上に獰猛で駆け抜けた。 4月…津坂、試される大地北海道に強制送還。サポートベースに飯田先輩とヤミニPを迎える。 録音、ミックスを施したミニアルバムのマスタリングを都内某所で行う。予想以上によい出来になったが20分でおなかいっぱいの感がある。 5月…ノロボーイ企画急遽キャンセルになったotoriに代わってEmily likes kobara(Vo:コバラ、津坂 Gt:山田 Ba:ヤミニ Dr:荻田)として出演することが前日の23時に決定。相変わらず珍妙な編成で獰猛な演奏 をし、トップバッターとしての役割を果たす。ちなみにヤミニは前日連絡を受けた時点で3曲しか覚えていなかったものの、歪みなどを巧みに使い乗り切る。 7月…13(土)サーティーン企画「小企画vol.6」に出演。スタジオで猛練習を重ねた戦隊モノっぽいポーズが決まって大満足ではあったが珍しくした山田のMCは滑った。 16(火)山田単独で高円寺円盤月例イベント大森靖子実験室(大喜利大会)に参加。1位のトリプルファイヤー吉田に大差をつけられるも12人中2位 タイと検討。ファイトマネー1100円を手に入れる。ジョニー大蔵大臣に「暗い」と評される。山田、メンバーに酷評される被害妄想に襲われる。 8月…もはや和製マイブラになるのではないかというレベルでリリースが滞っていたミニアルバム“My Graduation”が31日のモギフェスより遂に先行発売。費用全額立替の山田が損益分岐点まで売上げをすべて回収するスタイルとなった。ここから逆 襲が始まるのではないかという説がある。 10月…津坂、何度目かの大学院受験に遂に合格、北の大地での試練の時に終止符を打つ。飯田「2年で卒業しろよ」 遅ればせながらディスクユニオンにて上記ミニアルバム取り扱い開始。11月のレコ発企画に向けてここらか逆襲が始まるのではないかという説がある。 11月…横国の学祭で初披露となったSPEEDのカバーがちょっとダメなんじゃないかというレベルの仕上がりだった。 埼玉は死期にてライブ。機材を大切にするハードコアとして賞賛される。 17(日)昨年と奇しくも同じ日に渾身のレコ発自主企画を新宿motionにて執り行う。共演はTHE SLUDGE、クウチュウ戦+ハジメタル(ex.ミドリ)、パイプカツトマミヰズ。予約特典の季刊誌「ジャンク」が物議を醸すクオリティだったが飛び出す 3Dメガネは好評だった。津坂、手作りの段ボールロボットを開始15秒で破壊。竹馬などを使用した愉快なステージングを見せ、成功に終わる。 12月…ex.otoriのタニさんの結婚パーティーで演奏。この日のために仕上げてきた結婚ソングメドレーが大失敗に終わる。山田の司会も大失敗に終わる。 クリスマスに昨年に引き続きライブ。津坂手作りの星が見た目まんま荒川アンダーザブリッジの星だったもののそこそこのクオリティが好評を博す。 1月…盟友トリプルファイヤーのアルバム先行発売会に逃亡くそタわけと共に出演。遂に新宿LOFTのステージ(バーステージ)に立つ。この日のため に作った新曲「シューゲイザーX」は満員の観衆の中1曲目に披露され、信じられないほど滑る。しかしCD20枚くらい売れたため改めてトリプルファイヤー の勢いを肌で感じる。 2月…初の名古屋ライブ。当日東京を70年ぶりの大雪が襲い、交通網が麻痺。無理やり新幹線で行くものの大赤字に。ライブはフラストレーションをぶ ちまけた結果そこそこ評判がよかった。飯田、初対面の山田の姉(名古屋在住)に「本当に弟さんは搾りかすみたいですね」と伝える。 荻田、就活によって人脈が広がりスネアの音がよくなる。 4月…津坂、無事無職から大学院生にジョブチェンジするも友人が出来ず。社会人4年目を迎えた山田は後輩に毎日のように昼ご飯をおごらされることに。 グッドマンでの早瀬企画にて津坂が二代目地獄の魔術師(トリプルファイヤー吉田の手品アクト)を襲名する。メンバー間で「本当に手品を踏襲してスベるだけでよいのか」と真剣な議論が交わされる。 6月…レコーディング敢行し津坂のアドリブが奇跡的なクオリティを見せるも昨年リリースのミニアルバムが未だ損益分岐点に達しておらず、リリースの目処が立たない。 大森靖子主催大喜利に山田が2年連続参加。15名中4位と検討を見せるものの「本当に悔しい」とメンバーに漏らす。ファイトマネーが4,000円くらいあったためメジャーの資本の厚さを実感することとなった。 7月…狂気のババアのMVがフラジャイルのそれの世界観と酷似しているのではないかという妄念に囚われる。 8月…山田と津坂の謎のソロ活動などが増える。それぞれの全きなる夏が過ぎていった。 9月…後に閉店が決まる南池袋MUSIC orgにてフード食べ放題イベントに出演。山田、自己犠牲の精神でお客さんが食べるものがなくならないようにと事前にはなまるうどんでお腹いっぱいになるまで食べたことを後悔するレベルのフード盛りだくさんぶりであった。 10月…otoriの1stアルバムレコ発ツアー大阪編に便乗。「皆と思い出を作りたい」というバンドのコンセンサスによりレンタカーで大阪へ向 かったが台風が直撃。ヤミニPも同行した中で死のドライブとなる。直近3回の乗車で2回事故を起こしている山田は結局1度もハンドルを握らせてもらえず。 ドライバーヒエラルキーがヤミニ(仕事で常用)>飯田(常用)>荻田(完全ペーパー)>津坂(無免許)>山田(頭文字Dの本能)だったため山田も怒りを隠 せずかつてのトリプルファイヤーとのスプリットツアーでの実績と「慢心は一切ないから」をしきりに主張するもメンバーの猛反対に遭う。ライブは獰猛なテン ションで乗り切った。「車中で流す音楽を巡って口論になる」というバンドドリームも無事叶えた。大都市への遠征は夜行バスを使うべきという結論に至る。 狂気のオールナイトイベントに出演しDJ地獄の魔術師がデビュー。テックハウスなどを流しフロアを温めるも「普通にちゃんとやってて面白くない」と荻田は酷評。 11月…母校の学園祭にまだかろうじて荻田が院生なので老害として出演。しかし2000年卒業の長江章文の圧倒的な老害ぶりに叩きのめされる。水中、それは苦しいやグランドカバーなど相変わらずのカオスな組み合わせであった。 12月…山田がBossston cruizing maniaにサポートギタリストとして参加。平日深夜練習、複雑な曲構成による精神・肉体的負荷が大きく、本番は圧倒的にボリュームを下げることにより有耶無耶に乗り切るが不評を博す。 山田、懲りずにぐしゃ人間のワンマン風ライブにパフォーマーとして田中先輩(東京真空地帯)らと共に参加。仕事を選んだ方がいいのではないかという忠告を身近な人より受ける。 グッドマンの年末イベントにカウントダウンアクトとして出演。カウントダウンはぐだぐだを極めたものの、津坂がこの日のためだけに作った手作りの獅子舞がとてもかわいいと評判だった。2015年こそは飛躍の年に!と毎年同じ抱負を胸に新年を迎えた。 1月…ライブ初めの予定であったが津坂がまさかのインフルエンザでキャンセル。当初ボーカル抜きでのライブを検討するが「やっぱりこの4人じゃなきゃいけないんだ」と山田がそれっぽい台詞を言ったが散々メンバーチェンジしているので説得力がなかった。 しばたさおりプレゼンツ“Are you ready?”に出演。potekomuzin、POLTAとスリーマン45分のステージを乗り切る。 インフルエンザの振替公演 的なニュアンスで出演した大塚meetsで決死の60分間ライブを行う。後に伝説のライブと自分たちで言うように努める。 津坂、瀕死状態に。山田、全曲 やります!と言ったものの、普通にやり忘れた曲が数曲あった。メンバー一同、2時間半演奏するバンプオブチキンはすごい。と の結論に至る。 2月…サーティーン ×monotoons企画のオールナイトイベントに出演。出番は4時ということで山田はTHREEのソファー席を3時間キープする。1月の長尺ライブで自 信を深めた一同、急遽持ち時間が45分になるもポテンシャルの高さで乗り切る。というか極限状態であったためほとんど覚えていない。 5月にグッドマンで久しぶ りの自主企画を行うことが決定。特典、グッズ、出演者など試行錯誤のdaysが始まる。グッドマンでのライブ後泥酔した左右花池さんを山田が勝手に三代目 地獄の魔術師に任命しようとするが、津坂が「初代の許可がないと譲位できない」「任命権があるのは魔術師だけ」と矜持を見せつけ、政府転覆計画は未遂に終 わった。 3月…荻田、卒業旅行先のイタリアでスリに遭いほとんどのお金を失う。海沿いの綺麗な警察署だったとのこと。 山田、会社で昇進を果たすが特に誰にも喜ばれなかった。 サーティーンアルバムレコ発企画に二代目地獄の魔術師が転換アクトとして多数出演。無茶振りもなんとか乗り切るが、最後の最後で十八番の手品を大失敗。精神に深手を負い、無期限の活動休止を余儀なくされた。 4月…荻田社会人編がスタート。研修期間中は小田原の果ての施設に軟禁されることに。土日に都内に練習に来るため交通費がやたらとかさむ。 自主企画の特典DVDの中身を巡って意見が対立する。「ぐしゃ人間の握力測定」「余命百年の健康食品味比べ」「いやいやえんの人生相談」などの企画がボツに。 5月…自主企画に合わせ遂にTシャツやバッジなどの制作に着手する。飯田が自主的にバンドスコアを手書きで作り、やたらと消耗する。 余命百年、ぱいぱいでか 美、ぐしゃ人間を迎え1年半ぶりの自主企画を秋葉原クラブグッドマンで決行。挑戦的な前売り制度や特典などが功を奏したのか、成功をおさめ一同胸をなでお ろす。物販も予想以上の盛況ぶりで、飯田の力作バンドスコア(300円)が即完売という異常な事態となる。新たなビジネスチャンスの萌芽を感じさせた。 6月…ゲスバンド企画「メイクラブ」@DOMスタに参加。案の定阿鼻叫喚の灼熱地獄と化す。狭いスタジオで情熱的なアクトをこなすがメイクラブは出来なかった。 2015年台風の目と目されるディーヴァるるる菌の企画に飯田がサポートベースで参加。伝説のパンダカミソリ復活アクトに花を添える。 荻田の研修期間が無事終了する。社宅決めじゃんけんで人生で一番の運を発揮し、無事ねずみハウスから脱出する。 7 月…Nature danger gang企画「ハイテンションパーティー」に参加。遂にロフトのメインステージに立つ。メンバー一同楽屋で一番テンションが低かったと自負する。朝4時と いう極限状態でのアクトとなり、山田のギターが非常に精彩を欠いた(事前にクリトリックリス先輩に「俺26歳のときもっと髪の毛あったでー」と煽られたこ とによりテンションが下がったのが原因か)。初見の客を思うように踊らせず、困惑させることに成功する。 8月…津坂、内定を獲得する。ブランク含め長い学生生活をようやく抜け出すこととなる。 9月…山田、幼少期より大ファンだったミスチルのコンサートに行き、大変感銘を受ける。以後バンドの曲に僅かな“変化”が見られるように。 盟 友THIS IS JAPANと新宿motionで共同企画「ダイナソーシニア」敢行。共演はThe whoops、殺生に絶望、otori。この日のためだけにキリンが恐竜にアレンジされるなどスペシャルなアクトとなった。敬老の日にちなんで「65歳以 上無料、椅子付き」という挑戦的な試みをするも、高齢者の来場はなかった。 10月…諸事情によりメンバーのステージが変更になる。以降表記を津坂→獣-ビースト-、山田→エンリケ後悔王子、飯田→将棋部、荻田→T-DRAGONと改める。突然の不可解な発表により、「もうすぐメジャーデビューか!?」との噂がまことしやかに流れる。 精神的な事情により無期限の活動休止を余儀なくされていた二代目地獄の魔術師がDOMスタにて復活サバトを行う。ほぼ身内のみが見守る中、バルーン丸呑みの新魔術を披露する。 体育の日、シャンプーハッツ企画にスポーティー枠として呼ばれる。皆スポーティーな格好で臨んだ結果、過去最高の物販売り上げを記録する。転換BGMがずっとハードオフの店内BGMだったため、一同精神面に異常をきたす。 micann とCARPOOLと共同企画「東京フレンドパーク」を秋葉原クラブグッドマンにて敢行。共演はトリプルファイヤー。来場者特典「別冊フレンズ」は出場者全 員のエッセイが収められ、獣-ビースト-の編集テクにより無事刊行された。セットリストの1曲目にCARPOOL屈指の名曲“GOLDEN SUMMER”のボサノバアレンジバージョンを披露。異様な空気に包まれる。終演後ギターボーカルの嵯峨山に「どうだった?」と恐る恐る訊ねると一切感情 のない声で「よかったよ」と返事がきた。 10月終盤から3連続で深夜イベントが続き、メンバーが磨耗していく。 エンリケ後悔王子、いとこの結婚式でGReeeeNの奇跡のベースを担当。酔っ払った実父が新婦の友人席に「こいつをどうにかしてくれる優しい子はおらんかね?」と訊いて回ったことに「やめろよ!!」と激怒。祝福ムードが萎む。 12月…知る人 ぞ知る「がんばるベアーズ'98」が収録されたOTOEのコンピレーションが発売される。獣-ビースト-の思い出の地であるタワーレコード札幌ピヴォ店で も面出しでプッシュされるが、試聴はdisc1のみ(Emily likes tennisはdisc2に収録)という仕打ちに超えられない壁を感じた。 1月…秋葉原クラブグッドマンにてライブ初め。エンリケ後悔王子、同居人と対バン。HOMM∃のニイマリコに「本当はカッコいいバンドがやりたいんじゃないの?」と言われ「どういう意味だ!?」と狼狽する。 2月…sora tob sakana主催イベント@O-nestに参加。楽器を使うのは我々のみという極限状態にアウェーの中、精一杯「こんな大人になるなよ」ということをローティーンのアイドル達に伝えた。 新宿motionにて博多のThis heatことz/nzのリリースツアーに出演。渾身のwinter,againのカバー(フルコーラス)が賛否を呼ぶ。エンリケ後悔王子、コーラスは完璧だったがギターソロが覚えられずに口で誤魔化す。 3月…カタカナレコ発@新宿motionの当日に獣-ビースト-が急病になり5年ぶりにエンリケ後悔王子がメインボーカルを務める。終盤なぜかサポートギターでヤミニが登場。ソリッドだがユーモアに欠けたライブに「やっぱり俺たちはいつもの4人じゃなきゃダメなんだ」と少年マンガっぽい展開になる。ミス多発の将棋部は「獣-ビースト-の存在の大きさに気づいた」とよくわからない言い訳をする。 ヤミニPとの長い二人三脚の末、遂に音源のレコーディングが完了する。自主レーベル立ち上げだ!と怪気炎をあげるも「カッコいいロゴが思い浮かばない」という理由で滞りがちになる。 天才AV監督ヨハン・ユアン総指揮のもと、新アルバムに収録される「ホームステイ5」のMVを制作。最初の打ち合わせ時に「モザイクなしですか?」と職業病を見せつける。ローションや血糊をふんだんに使った過酷な撮影は二日間に及び、T-DRAGONとエンリケ後悔王子は発熱。「初めてYouTubeにあげられる動画を撮った」とは監督談。後に公開された折には「ストーリーが気になって曲がまったく頭に入ってこない」と狙い通りの評判を得る。 ロジスティクスの再結成にエンリケ後悔王子が参加。初めて「 4月…獣-ビースト-、社会人に。エンリケ後悔王子は係長になる。 5月…ライブ告知を巧みに盛り込んだT- 遂にフルアルバム「全業オープン」 エンリケ後悔王子の実兄が結婚。オリジナル曲を書き下ろすも「 いやいやえん×ダンカンバカヤロー!の共同企画@ 6月…HELLO AND ROLL×月夜のドラッグ共同企画@ 7月…新宿モーションにてシャンプーハッツ、ダンカンバカヤロー! 遂に「全業オープン」が全国リリースされる。 秋葉原club GOODMANにてハリエンタルラジオプレゼンツ“Wow war tonigh太”に出演。共演はotori、 9月…盟友THIS IS JAPANのレコ発に出演。初披露となった問題作“Space power”でフロアの困惑をかっさらう。ディスジャパの面々と「絶対カラオケでGALAXY(ディスジャパの代表曲)歌うからね!」と約束をする。 10月…こわいゆめ企画で2年半ぶりの名古屋でのギグ。西の盟友パイプカツトマミヰズと再会を果たす。エンリケ後悔王子の実姉(高校大学合唱部)より「コーラスワークがまだまだ」と手厳しい指摘を受ける。過去の遠征での一部メンバーの運転面の問題により現地集合現地解散となる。 11月…東京藝大ゼミ主宰の前橋映像祭にて“ホームステイ5”のMVが上映される。エンリケ後悔王子、故郷に錦を飾り母親に「映像制作会社勤務の友人が作ったショートフィルムの上映会がある」と説明する。群馬の地に奇才ヨハン・ユアンの名を轟かせた。 一足早いライブ納めとなる新宿モーションにてotoriに酷似したスペース赤ちゃんずと対バン。これが後のオワリカラツダフミヒコ企画出演に繋がっていく。 12月…エンリケ後悔王子、ぐしゃ人間のワンマンライブにゲスト参加(ギターなど)。獣-ビースト-がエンリケ後悔王子で検索すると某アイドルの曲を熱唱する動画が発見され愕然とする。 エンリケ後悔王子、読者MODEL(田島ハルコとにゃにゃんがプーのユニット)のイベントに“山ちゃん”としてトークとギターで参加。球体のような体型とタルボ使用が起用の理由と思われる。 T-DRAGON、たくさんふるさと納税をする。 それぞれの年の瀬が過ぎていった。 2月…大塚MEETS箱企画でライブ初め。復活した狂犬の中の狂犬のお陰かメンバー一同「こんなにミーツに人がいるの初めて見た」と感嘆する オワリカラ ツダさん企画に畏れ多くも呼ばれる。鬼のようなアウェーの中無事異物感を出すことに成功する。メジャーアーティストのスタッフにアルバムを押しつけ、苦笑いされる。 3月…エンリケ後悔王子がかつて在籍した曇ヶ原と対バン。男前+超絶技巧の新ギタリストを目の当たりにし「意味わかんねえよ」と投げやりな気持ちになる。 4月…6月に行う自主企画にて「ダウンロードコード付水」をリリースする前代未聞の試みをすることを発表(収録曲はSpace powerとシン・サメの2曲)。獣-ビースト-デザインのジャケットと併せて波紋を呼ぶことに。 5月…gurumeレコ発にておよそ1年半ぶりの大阪GIG。エンリケ後悔王子は休日出勤により出番の10分前に到着も色々な怒りをぶつけた情熱的なライブとなった。獣-ビースト-と将棋部は関西の打ち上げ文化に飲み込まれてしまう。 キクイマホ生誕祭に盟友たちと祝うため参加。Space powerの歌詞をアレンジして"Happy birthday my sweet MAHO"と歌ったものの本人は楽屋にいたため気づかず。 6月…自主企画「オートマチックアフィリエイトセミナーvol.2」を秋葉原クラブグッドマンにて開催。出演はトリプルファイヤー、股下89、パイプカツトマミヰズ、O'CHAWANZ。問題作の水はこの日だけで50本以上が売れたものの、ダウンロードはその半分に満たなかった。ぴあ予約、前売り予約特典に出演バンドのカバーを収録した音源を配付。股下のボーカルとベースに「クオリティ低かったらただじゃおかない」と圧をかけられた獣-ビースト-、極限状態でのレコーディングとなるも後日合格点をもらい胸を撫で下ろす。 遂に憧れの東京ボアダムに出演。かつて獣-ビースト-やT-DRAGONはバンド加入前に同イベントを客として観ており、感慨深いものとなる。エンリケ後悔王子はボアダムZINEに寄稿。エレファントノイズカシマシのΣ(獣-ビースト-とT-DRAGONのサークル同期)はZINEの海賊版でAVのレビューを執筆する。イベント後、泥酔したΣをサークル仲間(ELTクルー)とバンド仲間(ノイカシクルー)で押し付け合い、感慨深いものとなった。 毎年落選していたフジロックのルーキーステージ、たまたま主催のスタッフの名刺を入手したエンリケ後悔王子は通常の応募窓口でなく進展で担当者に直接送る。その結果落選通知すら来なくて無駄にそわそわしてしまったので、ズルはいけないなと肝に銘じる。 7月…盟友トリプルファイヤーのドラム大垣さんがフジロックのステージでエミリーTシャツ着用でライブを行い一同感激するも「エミリーTシャツでミスしまくったからもう二度とライブで着ない」と宣言される。 8月…ぱいぱいでか美生誕イベントに出演。間接的にお世話になっていたので感慨深いものとなる。アイドルファンの購買力により水がバカ売れする。 9月…新宿motionにてサーティーン、逃亡くそタわけと共同企画(将棋部が)。ゲストはシャイガンティ。おじさんたちによる滋味溢れるイベントになった。 10月…新代田FEVERに初出演。あまりの中音、外音の良さに一同愕然とする。獣-ビースト-が某アイドルグループのメンバーに「ファンだった」のようなことを言われており、正直うらやましかった。 新宿JAMでのライブにエンリケ後悔王子が急遽出演出来なくなり、レコーディングエンジニア兼プロデューサーのヤミニがヘルプでギターを弾くことに。下落合最速のダウンピッキングを披露した。 11月…秋のYOIMACHIに出演。遂にサーキットイベントに呼ばれたと一同喜ぶ。koochewsenと実に久しぶりの共演となり胸が高鳴る。MEETSをほぼ満員にし写真を後で見るには入場規制しててもおかしくないくらい人がいた。 12月…かつてのサークルの同志・高橋先輩が共著で本をリリースしそれの出版記念イベントに出演する。平日のイベント、出番は22時半とかなり疲弊した状態だったもののアカデミックな客層を爆笑の渦に。1月13日のワンマン&オワリカラとのツーマンに向けて勢いをつけて臨むこととなった。 1月…遂に前代未聞の7曲入りうちわリリースイベントを新宿motionにて敢行、第一部はワンマン、オール新曲で構成された第一部は「トレンディー」「ガーナに秘宝館」など問題作を次々に披露し観客を動揺の渦に巻き込む。第二部はオワリカラとのツーマン。プレイヤビリティに打ちのめされると共に音量をデカくし過ぎない方が良いという気付きを得る。アンコールでカメダ氏を迎えサウダージをカバーしまぁまぁ滑る。 4月…大塚のフェス「春のYOIMACHI」に出演、常に出演は大塚MEETS。 5月…憧れの大型フェス、CONNECT歌舞伎町に出演。出演者の羅列が50音順だったため「石野卓球 Emily likes tennis 大森靖子」となり何となくバンド名に感謝する。盟友たちと共に熱いGIGをかますがケータリングの場所がわからなかった。夢見心地のままそれぞれの帰路につき首にぶらさげたアーティストパスを見て「いや、俺たち、サラリーマンなんだよ」と虚脱感に襲われる。 6月…大塚MEETSの10周年のスリーマン企画に参加。平成50年の身体性に富んだパフォーマンスに衝撃を受ける。 9月…ダンボールレコード&サイドカー共同企画に参加。何者なんだと話題になったにゃにゃんがテニスの正体はエミリーとにゃにゃんがプーのコラボだった。スタジオ1回のみとは思えない演奏が好評を博し以後にゃにゃんがテニスでライブのオファーまで来ることになった。 11月…すっかりお馴染みになった「秋のYOIMACHI」に参加。この日MEETSの店長長谷部とエンリケ後悔王子は30歳となる、が特に何もなかった。 2月…殺生に絶望鈴木企画、トリプルファイヤーとKoochewsenのツーマンにO.Aとして出演。初めて対バンしてからの日々や思い出などを吹き飛ばすというか感傷ゼロのパフォーマンスを披露した。 3月…Koochewsen西平の脱退前ラストGIGにて、万感の想いを込めて某オロメンの某曲を概ねフルコーラスで演奏し微妙な空気になるも初披露となったキャラ立ち4本マイクの問題作「Hell near(改)」でフロアを一瞬で虜にする。 4月…またも大塚の街フェス“春のYOIMACHI”に参加。遂にMEETS以外での出演となりそうだったが出演時間の変更を依頼したところ、結局MEETSに出演となる。 6月…大塚Hearts+にてオジオジレーベルのイベントに出演。腰痛に苦しむレーベルオーナー小林氏への熱いシンパシーを込めたHELLNEARを披露する。 7月…吉祥寺NEPOにて渾身の自主企画“オートマチックアフィリエイトセミナーvol.3~令和の光~”を敢行。盟友THIS IS JAPANとのツーマンとなる。特に示し合わせたわけでもなくディスジャパがGalaxyでスタートし我々のラストがGalaxyカバーとなり収まりがよくなる。エンリケ後悔王子曰く「White loveで始まりWhite loveの別バージョンで終わるSPEEDのベストアルバムと同じ構成」とのこと。 10月…カタカナのアルバムレコ発イベントに参加。前回のレコ発では獣-ビースト-が扁桃腺が腫れ欠席、不完全燃焼だったため何とかリベンジを果たす。 sora tob sakanaの対バン公募企画に懲りずに応募し、熱意が通じたのかまたしても共演の運びとなる。情熱的なアクトを見せたが金曜日の仕事終わりだったため、終演後の集合写真では大半のメンバーの顔が死んでいた。 11月…すっかり常連となったフェス“秋のYOIMACHI”に出演。通常のステージに加えラーメン屋での決死のGIGを敢行。機材の厳しい制限の中、T-DRAGONが100均で揃えたタッパーや食器を乱れ打ちする。Xのやしろ食堂ライブのリスペクトを込めた某曲が大変好評を博し、ネットで2万回以上再生されるも当月のサブスク収入は300円くらいだった。「宣伝になったから」と好意でラーメンを店員にご馳走になるも赦先輩は既に食券を購入していた。 12月…転職し有給消化期間に突入したT-DRAGONへの妬みから一部メンバーによるドラミングへの苛烈な“指導”が入る。 1月…ハートオブ千葉ことライブハウスANGAでライブ初め。グローバルな出演陣に知り合いが全くおらず楽屋で小さくなるもステージでは言葉の壁を超える。 吉祥寺NEPOで水中、それは苦しいSP、ミソシタ(Vtuber)との異色すぎるスリーマン(O.A柳澤澄人)。ジョニー大蔵大臣に「間違った方向に伸びている」と絶賛される。 2月…お馴染みとなった大塚の街フェス春のYOIMACHIにEmily likes tennis〜dragon's 57 move〜で出演が決まるが後にイベントは中止となりこの時は、このユニットは永遠の謎に包まれたと思われた。 3月…昨年秋のYOIMACHIに於けるラーメン屋GIGでお馴染みの円満家が閉店となる。あのラーメンの味を、僕たちは忘れない。 4月…Soundcloudに未発表の“Hell near”と“フェルマーの最終定理”をアップしたがそれ程話題にならなかった。フェルマーの最終定理は全部で5バージョンあるらしい。 NEPO&ヒソミネコンピ“Fourth place”に“(Save Our) Space Power”で参加。上手いタイトルをつけた気がする。 5月…将来その可能性がないため2万字インタヴューを早瀬の兄貴を聞き手としてメンバー全員敢行。それぞれの知らない一面を知ったり謎が深まったりした。 レーベルメイトであるうしろ前さかさ族のオンラインフェス“NEW SPORTS ONLINE SEMINAR”に参加。リアルタイムのコメント欄にドキドキしながら各自家で視聴する。 9月…自作自演のバーチャルフェスこと“笑(えみ)ROCK FESTIVAL2020 in EDO〜ソニックマニア〜”の開催を発表。出演はEmily likes tennis、Emily likes tennis2012、Emily likes tennis〜DRAGON'S 57 move〜、エミリーライクステニスアコースティックジャンボリー等。しかしメンバーの体調不良により11月に延期となる。 10月…盟友THIS IS JAPAN企画“無観客素振りGIG2020”に出演。共演は他にゲスバンド、逃亡くそタわけ。配信ライブの新たな地平を切り拓く獣-ビースト-の顔芸が世界へと羽ばたくことに。配信オフと思い音出しでアシッドマンのコピーをしたところ、配信されていたことが判明し焦る。 11月…遂にレーベルメイトのうしろ前さかさ族と配信ツーマンGIGを大塚MEETSで敢行。異常に運動量の多いボーカリスト2人が邂逅した。さかさ族ギターのミサイル氏はかつてライブ後に「僕もバンド組みたいです!」とエンリケ後悔王子に話しかけた人物であり、BECKみたいな展開に一同胸が熱くなったが普通にギターがめちゃくちゃ上手くて焦った。 1月…初のオンラインでの開催となった“オンラインYOIMACHI”に出演。大塚のボルダリング場での事前収録となる。現代技術の粋とも言えるVRドラムマシンを駆使、終盤は遂に楽器を放り出しボルダリングに興じる、カラオケ音源で4MCのラップをするなど最早ミュージカル然としたコンセプチュアルなパフォーマンスで配信ライブの新たな地平を切り拓いた。配信当日はメンバー各々が家で視聴したものの赦先輩は竹を加えた囚人役の自身を直視出来なかった。 5月…赤坂区民ホールを区民の力で借り、ロックオペラ「オートマチックアフィリエイトセミナーin赤坂〜親のスネを噛りたい〜」の無料公演を画策。周到に脚本が練られ劇伴の書き下ろし曲も用意されたが、緊急事態宣言により直前に延期となる。延期が決まる前日まで施設担当者と金屏風の使い方を打ち合わせしていただけに、メンバー一同やりきれなさから涙を流した。 尚、翌年エンリケ後悔王子が港区民から都落ちし藤沢市民となったため同施設での振替公演は事実上不可能となる。 7月…早稲田RiNenにてバスクのスポーツと配信ツーマン。盟友ダンカンバカヤロー!から受け継がれし剣がスサノオ先生で披露された。 12月…メンバーとの話し合いの結果、JAXAの宇宙飛行士公募に挑戦を表明。宇宙GIGへの道をスタートさせたが、一部メンバーがエントリーシートの提出期限を失念していたためプロジェクトは頓挫した。 3月…My funeral inc.企画で実に久しぶりに有観客GIGを執り行う。秋葉原club GOODMANにて対バンは茶封筒と。初演奏となった“SAMURAI SUPER CHAT”で獣-ビースト-が現代の外郎売かのようなマシンガン口上を披露し好評を得る。 5月…早稲田RiNenにてダンカンバカヤロー!、herpianoとのスリーマン。主催にリスペクトを込めて1曲目にダンカンのお風呂大好きをカバーするが配信トラブルにより無音の中メンバーが躍動する姿がインターネットの海に解き放たれた。また、サウナとカレーがキーワードの新曲“(What a) wonderful holiday”も披露され物議を醸す。 6月…過去作品のサブスクリプションサービスが解禁となる。DLコード付水、DLコード付うちわ、DLコード付紙幣など入手困難となっていた楽曲たちが解き放たれた。“Space Power”のジャケットは大人の事情により差し替えとなる。 7月…獣-ビースト-が転職する。 秋葉原club GOODMAN復活イベント「祭」に参加。かつて死闘を繰り広げたbossston cruizing maniaとトリプルファイヤーという盟友と再び共演。ボストン結成年のヒット曲“夏の日1993”のカバーが盛大に滑る。 8月…My funeral inc.企画でかつてのレーベルメイト曇ヵ原と同じく秋葉原club GOODMANにてツーマンを決行。会場に集まったプログレファンに1曲目GO!GO!HEAVENのソリッドなカバーを披露し変な空気になるもひたすら変化球で技量の差を誤魔化した。エンリケ後悔王子は転換時のサウンドチェックで“うさぎの涙”を弾くもほとんど弾けなくなっていた。 10月…遂に有観客で復活となった大塚のサーキットイベント“秋のYOIMACHI”に参加。周囲の期待を一身に、満を持してカレー屋さんにて灼熱のGIGを行う。カレーの注文が入る度に演奏を止め、“(What a) wonderful holiday”のカレー部分を演奏し次の曲に移るという実験的なセットリストで臨み、計9回くらい同曲を演奏する羽目になる。ライブ直後に獣-ビースト-が数週間の海外出張へ。お土産に変なカレンダーをくれた。 OJIOJIレーベルプレゼンツ“PURPLE COMET CLASH!!!!!vol.17”に参加。山形発の登山アイドルるなっち☆ほしとの異色のツーマンとなる。アンコールではるなっち☆ほしをゲストボーカルに“ヨーデルが呼んでる”を小芝居込みの長尺で披露。帰国直後の獣-ビースト-は楽屋で段ボール製の三角点を制作し小道具として利用。「意味がわからなかった」と好評を得る。 つづく |